福岡・大川「庄分酢」で楽しむ贅沢な時間。酢造り300年のこだわりが詰まったランチ体験
福岡県大川市・榎津(えのきづ)は、筑後川の支流に面し、かつては造船や木工の町として栄えた場所です。この地に、創業から約400年、酢造りを始めて300年という時を刻む老舗「庄分酢」があります。
舞台は、市の有形文化財にも指定されている江戸時代の商家。その2階を改装して生まれたのが、予約必須の隠れ家レストラン「リストランテショウブン」です。なぜ今、この古い蔵に美食家たちが集まるのか。それは、“蔵付き菌”と伝統製法が醸し出す、ここでしか味わえない驚きのガストロノミー体験があるからです。
藩境の町に漂う、甘く芳醇な香り
庄分酢の蔵の前に着いた瞬間、鼻の奥をツンとくすぐる、けれどどこか甘く芳醇な香りに包まれました。目の前には暖簾が揺れ、歴史を感じさせる建物が静かに佇んでいます。
ふと来た道を振り返ると、道が真っすぐではなく、緩やかに波打っていることに気づきます。「この道がくねくねしているのは、昔、敵の弓矢が通らないようにするためだったんですよ。」そう教えてくれたのは、店の前で出迎えてくれた庄分酢の14代目高橋一精さんです。
かつてここは久留米藩と柳川藩の境目であり、筑後川の支流を利用した船が行き交う物流の拠点でした。古くから船大工や木工職人があつまり、家具の町・大川の礎を築いたこの場所で、庄分酢は300年にわたり伝統の製法を守り続けています。
酒から酢へ。失敗が生んだ「保存」の知恵
酒処として知られる筑後平野。「もともと、うちは酒蔵だったんです。酢造りに変わったのは4代目からですね。」高橋さんの話に耳を傾けながら、敷地内へと進みます。
お酢の起源は約7,000年前の古代バビロニア、発酵しすぎて酸っぱくなったお酒の失敗作として発見されたと言われています。
冷蔵庫のなかった時代、人々はその酸っぱい液体に「腐敗を防ぐ(防腐)」という効果があることに気づきました。野菜を漬ければ長持ちする。そうやって酒造りの技術は、保存食のための酢造りへと形を変え、この地に定着していったのです。
地面に埋まった甕。アナログにして完璧な温度管理
「これを見てください。半分、埋まっているでしょう?」
目の前に現れたのは、ずらりと並んだ茶色の陶器の甕(かめ)に「黒酢」が眠る場所です。驚くべきことに、その巨大な甕の下半分は土の中に埋められています。
「発酵の後半、酢になる時には温度が40度くらいまで上がります。でも、下半分は地熱で冷やされる。上で温まり、下で冷えることで、甕の中で自然に対流が起きるんですよ。」
電気も機械も使わず、ただ「土に埋める」だけで対流を生み出し、菌の活動をコントロールする。九州という暖かい気候だからこそできる、先人の知恵が詰まった伝統製法がそこにありました。
蔵の中に広がる、芳醇な「発酵の香り」
次は、向かい側の1930年に建てられた醸造蔵へと足を踏み入れます。扉を開けた瞬間全身を包み込むのは、ツンとする刺激ではなく、果実のように甘くふくよかな香り。
ふと見上げると、柱や梁から天井に至るまで、視界のすべてが深く美しい黒色に染まっています。この黒色の正体は、この蔵に住み着いた「蔵付き菌(酵母や酢酸菌)」。建物自体は昭和の建築ですが、ここに棲む菌たちは、江戸時代から300年続く庄分酢の醸造蔵で受け継がれ、庄分酢のまろやかな味わいを生み出しています。
タンクか木桶か、味で100%わかります
薄暗い蔵の中で黒褐色の存在感を放つのが、巨大な杉の木桶です。 現代の量産メーカーでは、ステンレスや樹脂のタンクに空気を送り込み、わずか24時間で酢を造ることもあります。しかしここでは、昔ながらの木桶を使い、数カ月かけて表面の発酵膜だけでゆっくりと酢を育てる「静置発酵」を守り続けています。
「出来上がったお酢を舐めれば、木桶で作ったかタンクで作ったか、100%当てられます。それだけ香りと深みが違うんです。」と、高橋さんは断言します。
この巨大な木桶には、釘や接着剤は一本も使われていません。杉板を組み合わせ、竹の箍(たが)で締め上げただけの伝統工芸です。メンテナンスをすれば数百年使えるこの木桶自体にも菌が宿り、唯一無二の風味を醸し出しています。
泡立つ「柿酢」。果実もまた、ここで呼吸する
蔵の中に、ポコポコと小さな泡を立てて発酵しているタンクがありました。中では、芳醇な香りを放つ琥珀色の「柿酢」が仕込まれています。
「フルーツビネガー」というと、出来上がったお酢に果実を漬けているものを想像しがちですが、ここでは地元の柿やあまおう、巨峰などを使い、果実そのものを発酵させてお酢を造っています。 アルコール発酵を経て、ゆっくりと酢へと変化していく過程。その「生きている瞬間」を目の当たりにすると、ショップに並ぶ美しいボトルの見え方が変わってきます。
ショップでは冷水・お湯・炭酸水などで割って飲む「飲むお酢」シリーズとしても販売しており、お酢が苦手な人でもフルーティーで甘味があり、ジュース感覚で飲みやすいと評判です。
大川市指定有形文化財・高橋家住宅へ
表の通りに面した「母屋」へ。 ひんやりと薄暗い土間には、太い柱や梁が走り、商家の威厳を感じます。この建物は1759年、江戸時代中期に建てられたもので、大川市の有形文化財に指定されています。
代々の当主たちが寝起きし、帳簿をつけ、酢の商いを守ってきた母屋の2階が「リストランテショウブン」です。
「リストランテショウブン」のビネガーランチコース C
母屋のショップを抜け、2階の蔵へ。階段を上ると、そこは太い梁が頭上を交差するモダンで落ち着いた空間が広がっています。今回は、お肉もお魚も楽しめるお酢尽くしの「ビネガーランチコース C」をいただきます。
食前酢は、瀬戸内レモンの飲むお酢。 運ばれてきたグラスを傾けると、ツンとする刺激は皆無。レモンの爽やかな香りと優しい甘みが喉を潤します。
前菜のプレートは、魚の南蛮漬け、たたき牛蒡、酢牡蠣、たこと胡瓜の辛子酢味噌掛けと、彩り豊かな料理が並びます。それぞれの料理に合わせ「南蛮漬けの素」「すし酢」「生ぽん酢」「庄分純米酢」と、庄分酢のお酢が細かく使い分けられています。
サーモンのマリネには「塩麹柚子ドレッシング」。メニューにも商品名の記載があるので、食後に気に入った商品を買って帰ることができます。
魚料理は、カダイフを巻き付けパリパリに揚げられたエビに、ホタテ、れんこん、かぼちゃなどのフリット。ここに、庄分酢の「美味酢」で漬けたピクルス入りのタルタルソースをたっぷり付けていただきます。優しい酸味の爽やかなソースが、素材の旨味を引き立てます。
肉料理は、ナイフがいらないほどホロホロに煮込まれた牛ほほ肉。赤ワインのソースには、ブドウから作られた「巨峰ビネガー」が隠し味として使われています。お酢の力が、濃厚な煮込み料理を驚くほど軽やかに、そして洗練された味わいへと引き立ててくれます。
締めに出てくるのは、色鮮やかな「ちらし寿司」です。 ここで「お酢屋さん」の原点である「米」の料理に戻ってくる構成には、思わずニヤリとさせられます。 300年続く蔵の菌が醸した「すし酢」の優しい酸味。メイン料理を味わった後でも箸が進むのはお酢の力でしょうか。
デザートは、ほうじ茶のプリンとイチゴのアイス。プリンにかけられた黒蜜にも「有機玄米黒酢」が使われています。
食後のドリンクに選んだのは、ブドウ酢の炭酸割り。最初から最後の一品まで、「庄分酢」のお酢を心ゆくまで堪能する、大満足のフルコースでした。
和洋とさまざまな料理が並ぶコースを仕立てるシェフは、フレンチの出身です。
「ここに来る前は、お酢といえば『酸味を際立たせる』とか『アクセント』というイメージしかありませんでした。でも、庄分酢に来て勉強するうちに、お酢は『素材の旨味を引き出す調味料』なのだと気づいたんです」。
そう語るシェフは今、お酢を単なる「酸っぱい調味料」としてだけではなく、あえて煮立たせて酸を飛ばし、コクや旨味を凝縮させる「最高の隠し味」として駆使しています。
代々の当主が守り抜いてきた伝統と、シェフの感性が融合して生まれた「新しいお酢の美食」を味わう――それは、ここ庄分酢でしか叶わない、唯一無二の体験でした。
感動をそのまま食卓へ。1階ショップで「お酢生活」を始めよう
おいしいランチで満たされた後は、余韻に浸りながら1階のショップへ。シェフが使用した庄分酢の商品が並び、レストランの感動を自宅で再現できるのも嬉しいポイントです。
「酢づくり300年」と聞くと敷居が高く感じるかもしれませんが、庄分酢が提案しているのは、「現代の暮らしに寄り添うお酢」です。 歴史ある文化財の梁の下で、最先端の美食を味わい、気に入った味をボトルで持ち帰る。
大川・榎津の町並みに溶け込むこの場所で、あなたも「おいしいお酢生活」を始めてみませんか。
※掲載されている情報は2026年1月の取材時の内容です。最新情報は公式サイト等をご確認ください。