松山城跡

まつやまじょうあと

豊前国第一級の要塞山城。現在は本丸、堅堀、土塁の遺構が残っています。

種別:苅田町指定史跡
築 : 天平12年(740年)
規模:標高128m
盲導犬同伴可能

【注意】平成30年7月の大雨による土砂崩れのため、立ち入り禁止となっておりましたが現在は、立ち入り禁止区域を設定したうえで、一部公開の再開をしております。

基本情報

住所 〒800-0303 福岡県京都郡苅田町松山
電話番号 093-434-2212(苅田町生涯学習課まちの歴史担当)
駐車場 無料
アクセス情報 JR日豊本線・朽網駅から西鉄エアポートバスに乗り「スカイホテル苅田前」下車、徒歩約30分
ウェブサイト 苅田町サイト

※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。

"ご来福"で願いを叶えよう "ご来福"で願いを叶えよう

北九州空港から連絡橋へ進むと、正面に標高128mの小山が見えます。これが天平12(740)年、奈良時代の貴族・藤原広嗣が築城したと伝えられる松山城跡です。現在は周囲が埋め立てられていますが、かつては海に突き出た半島状の要害(地形が険しく守りに有利な場所)で、「豊前国第一級の要害山城」と称されていました。山頂からは、周防灘から国東半島まで見渡せる大パノラマが広がります。
中世には、周防の大内氏(のち毛利氏)と豊後の大友氏の間で、城を巡る激しい攻防戦が繰り広げられます。また、天正14(1586)年の九州攻めの際には、先鋒・毛利勢の軍事の監督をするために黒田官兵衛が陣を敷き、九州平定後は黒田12万石の北端を守る支城となりました。城跡から出土した軒平瓦(のきひらがわら)には、豊臣秀吉ゆかりの「桐葉(きりは)」の紋様が描かれており、黒田官兵衛との深い関連を物語っています。この瓦は、苅田町役場横の苅田町歴史資料館に展示されています。

SHARE

エリア
北九州エリア
カテゴリー
史跡・古墳・遺跡

周辺にあるスポット 周辺にあるスポット

このページを見ている人は、こんなページも見ています このページを見ている人は、こんなページも見ています

当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。詳細はクッキーポリシーをご確認ください。
ページトップへ