立花宗茂・誾千代 ―戦乱の世に生まれたヒーロー&ヒロイン―-1

立花宗茂・誾千代 ―戦乱の世に生まれたヒーロー&ヒロイン―

立花宗茂(むねしげ)とその妻、誾千代(ぎんちよ)を知っていますか?宗茂は九州戦国史を代表する武将の一人。筑後柳川の大名から一浪人となるも、奇跡の復帰を果たしたことから「復活の大名」と言われています。一方、妻誾千代も有事の際は武装し軍を指揮するなど、様々な伝説が残る「戦う女城主」として知られています。強い信頼関係で結ばれ、乱世を真っすぐに生きた2人のドラマが期待されます。
450周年の節目となる2017年より地元柳川を中心に地元柳川を中心に「立花宗茂と誾千代」の大河ドラマ実現に向け、精力的に招致活動が行われています。


立花宗茂(1567年~1642年)
豊後大友氏家臣、高橋紹運(じょううん)の長男として誕生。15歳で戸次道雪(どうせつ)の娘誾千代の婿養子となり、立花山城主に。秀吉の九州平定での功績により筑後柳川の大名となりました。文武に秀で、旧領柳川復帰後は、御咄衆、相伴衆として将軍秀忠、家光の2代に渡り重用されました。

立花誾千代(1569年~1602年)
豊後大友氏重臣、戸次道雪の娘。7歳で家督を譲られ立花山城主となりました。父道雪は愛刀「雷切丸」で雷を切ったと伝わる猛将で、誾千代も武勇に優れていたといわれています。13歳で宗茂と結婚。改易後、加藤清正の計らいで移り住んだ肥後国腹赤村で病死。享年34歳。


【宗茂】天下人、豊臣秀吉に認められる

天正14年(1586年)、立花山城開城を求めた島津軍に対し、宗茂は徹底抗戦。撤退する島津軍を打ち破り、占拠されていた城を次々に奪還しました。この武勇により秀吉に「九州の一物」と称され、全国にその名を知られることとなった宗茂。翌年、秀吉から筑後三郡を与えられ大名に取り立てられました。


【誾千代】7歳で立花山城の女城主に

父の後を継ぎ立花山城督に就任した誾千代は、城主となったことを一級史料(大友 宗麟・義統の朱印状)で確認できる日本史上ただ一人の女城主。残された肖像画からは色白で美しい女性であったことが伺えます。


【宗茂】「武神再来」と畏敬された戦の天才

島津軍を撃破したとき、宗茂は弱冠20歳。ゲリラ戦を得意とし、少数で大軍を打ち破るなど武術に長け、戦の天才と言われました。島原の乱の際は72歳で出陣。軍を鼓舞し、乱を鎮圧。その戦いぶりは諸大名に「武神再来」と畏れられました。


【誾千代】数々の武将を恐れさせた誾千代の武勇伝

誾千代には多くの武勇伝が伝説として伝えられています。関ヶ原の戦いで西軍が負け、東軍の加藤清正が柳川に侵攻した際には、誾千代自ら軍を指揮したとも。清正は誾千代の軍との衝突を避けるため、侵攻ルートを変更したと言われています。


【宗茂】関ヶ原で破れて旧領に復帰した唯一の大名

豊臣家へ忠義を果たすため関ケ原の戦いで西軍についたことから、領地を没収され浪人となった宗茂。浪人中は加藤清正や京の商人、自ら行動を共にした家臣らが生活を支え、復活の日を待ちました。慶長11年(1606年)、武勇と誠実な人柄が認められ、徳川二代将軍秀忠より奥州棚倉を拝領し大名に復帰。元和6年(1620年)には、ついに旧領柳川に再封となります。浪人となって20年目のことでした。

Column

道雪、宗茂、誾千代を祀る神社「三柱(みはしら)神社」-1

道雪、宗茂、誾千代を祀る神社「三柱(みはしら)神社」

天明3年(1783年)に長久寺内に建立された社を起源とする由緒ある神社です。三柱神社の神域は約2万坪の敷地を持つ高畑公園で、春には桜の名所になっています。

三柱神社

柳川の歴史を学ぶ

立花家史料館
初代藩主宗茂の武具や甲冑をはじめ、柳川藩主立花家伝来の甲冑や婚礼調度、衣装など美術工芸品約5,000点を収蔵、展示しています。

柳川古文書館
国指定重要文化財の「大友家文書」「立花家文書」をはじめ、古文書を中心に筑後地方に伝わる約15万点の史料を管理公開しています。

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柳川藩主立花邸 御花-1

柳川藩主立花邸 御花

柳川藩主立花家の別邸である「御花」。現在は明治43年(1910年)に迎賓館として建てられた「西洋館」、近代和風の日本庭園「松濤園」など、敷地全体が立花氏庭園として国の名勝に指定されています。

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うなぎももちろん名物ですが、地元で愛されているグルメをご存知ですか?

名物料理の「うなぎのせいろ蒸し」以外にも魅力的なグルメがたくさん!柳川を訪れた際にぜひ食べたいグルメをご紹介します!

  • 肉・ごぼう天うどん

    肉・ごぼう天うどん

    旧柳川藩第16代当主より屋号をいただいたという立花うどん。北海道利尻産の二等昆布でとった黄金色の出汁に、やわらかく炊き上げた肉とシャキシャキのごぼう天がたっぷり入った「肉ごぼう天うどん」は、立花うどん一番の人気メニューです。

    立花うどん
  • 越山(こっさん)もち

    越山(こっさん)もち

    梅花堂越山は、立花藩御用菓子司として文久元年(1861年)に創業。「越山もち」は、しっとりとした白餡を、2時間かけて練り上げた求肥で包み、和三盆をまぶした餅菓子。創業以来、変わらぬ味と技を受け継ぐ、柳川を代表する銘菓です。

    梅花堂越山
  • あめがた(もち飴)

    あめがた(もち飴)

    大松下飴本舗は、柳川で130年以上続くもち飴の専門店。現在は5代目となる御主人があめ作りを行っています。昔ながらの製法で作られる飴は1日200本の限定生産。材料はもち米と麦芽のみ。砂糖とは違った自然でまろやかな甘さが魅力です。

    大松下飴本舗
  • 柳川黄金博多和牛カレー"ステーキのせ"(サラダ付)

    柳川黄金博多和牛カレー"ステーキのせ"(サラダ付)

    精肉店直営のカレー店。イートインエリアはランチ限定営業。地元柳川産博多和牛とタマネギを78時間じっくり煮込んだカレーに、焼き立てのステーキをのせた「柳川黄金博多和牛カレー ステーキのせ」(サラダ付)は「第2回まかない飯グランプリ」優勝の逸品。

    柳川肉匠職人 清柳食産


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