【世界文化遺産】明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業-1

【世界文化遺産】明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業

日本の明治以降の近代化は、西洋以外で初めて、しかも短期間で成し遂げられたという点において特筆されます。その原動力となったのが、古くから日本と海外を結ぶ窓口として発展してきた九州・山口地域です。
福岡県では、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として三池炭鉱・三池港・八幡製鐵所関連資産が世界遺産に登録されました。
その構成資産の紹介と魅力に迫ります。


ドイツのボンで開催された第39回ユネスコ世界遺産委員会の決定により、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」が、世界遺産一覧表に登録されました。
福岡県の構成資産は、三池炭鉱・三池港(大牟田)、官営八幡製鉄所(北九州市・中間市)関連資産があり、その他にも日本の近代化を支えた産業遺産の足跡を各地で見ることができます。


三池炭鉱・三池港 ―石炭を掘り、それを運ぶために 鉄道が敷かれ、港ができ、街が生まれた―

三池での石炭発見の歴史は古く、1469年、地元の農夫が山中で燃える石を見つけたという記録が残っています。
1873年、官営化された三池炭鉱は、西洋の技術を導入し近代化を進めました。1889年には、三井に払い下げられ、当時の遺構としては宮原坑第二竪坑施設、万田坑第二竪坑施設などが残っています。

1891年には、石炭運搬効率化のため専用鉄道を開通させました。今も三池炭鉱の主要坑と三池港を結んだ鉄道敷跡を見ることができます。
三池港は、1908年に三井の団琢磨によって建設され、今もなお現役で稼働しています。三池炭鉱は、坑口、鉄道、港湾の石炭にかかわる諸施設が線上につながった産業景観を形成しています。


「三池炭鉱・三池港」関連施設では、「宮原坑」「三池港」(以上大牟田市)、「万田坑」「専用鉄道敷跡」(熊本県荒尾市・大牟田市)が資産になっています。宮原坑や万田坑から石炭が炭鉱専用鉄道で三池港に輸送され海外に輸出される一連の流れが把握できること、各施設跡が良好な状態で現存していることが高く評価されています。

三池における石炭の歴史は古く、室町時代の文明元年(1469年)に地元の農夫が焚き火の中で燃える石を見つけたという記録が残っています。明治6年(1873年)に官営化された三池炭鉱は高島炭鉱(長崎)に続き西洋の技術が導入され、近代化が進められました。

明治22年(1889年)に三池炭鉱は三井財閥に払い下げられたが、この時に工部省から三池炭礦社に移り事務長に就任したのが團琢磨です。團は13歳で岩倉使節団に留学生として同行した経験を生かし、英製大型排水ポンプの設置や石炭の積出港として三池港を築港、各坑口と三池港を結ぶ三池炭鉱専用鉄道も敷設するなど三池炭鉱の発展に多大な功績を残しました。

三井三池炭鉱は平成9年(1997年)に閉山しましたが炭鉱関連の遺産が数多く残っており、産業遺産としてあらためて注目されています。

  • 三池炭鉱宮原坑

    三池炭鉱宮原坑

    三井買収後に初めて開削された明治期から昭和初期にかけての主力坑口。第二竪坑櫓と巻揚機室などが現存します。昭和6年(1931年)の閉坑後も坑内排水の機能は維持され、平成12年(2000年)の第二竪坑の閉塞工事時まで櫓や巻揚機は機能しました。

    もっと見る
  • 三池炭鉱万田坑

    三池炭鉱万田坑

    宮原坑に次いで開削され明治35年(1902年)に出炭を開始。昭和中期にかけて主力坑口として機能しました。明治期の炭鉱施設としては国内最大規模。第二竪坑跡と鋼鉄製の櫓、煉瓦造の巻揚機室などが良好な形で残っています。

    もっと見る

  • 三池炭鉱専用鉄道敷跡

    三池炭鉱専用鉄道敷跡

    三池炭鉱各坑口と積出港の三池港を結ぶ炭鉱専用鉄道で、明治38年に各坑口と三池港まで全線開通。石炭を満載した貨車を効率的に牽引するため全線にわたり緩勾配で設計されました。路床、煉瓦の橋台、橋梁などが現存しています。

    もっと見る
  • 三池港

    三池港

    三池港は、干満差の激しい有明海に面する三池の地から石炭を直接大型船で搬出するために築かれました。海砂から港と航路を守るために作られた長大な防砂堤、潮待ちの為の内港、干満に関わらず大型船の接岸を可能にするための閘門を有する船渠が計画的に配置され、上空から見た形がハチドリのように見える優美な姿が特徴です。

    もっと見る

Column

大牟田市石炭産業科学館-1

大牟田市石炭産業科学館

日本の近代化をエネルギーの面から支えてきた石炭と三池炭鉱の歴史とその技術について、見て感じて、体験できる科学館。模擬坑道やエネルギー体験施設などで楽しく学べます。

もっと見る

官営八幡製鉄所 ―鉄道、造船、蒸気機関車…日本の近代化は、鉄とともに始まった―

明治維新後、産業革命の進展に伴う鋼材需要の高まりの下、鉄鋼一貫製鉄所設立の気運が高まりました。
我が国で最大の石炭産出量を持つ筑豊炭田に隣接していたことや地元の熱心な誘致活動が実を結び、八幡村に官営製鉄所の設置が決まりました。
八幡製鐵所は、北九州工業地帯の基幹工場として日本の近代化を支え、我が国の重工業化の道を切り開きました。


日本の近代化をもたらした本格的な製鉄施設は江戸末期、盛岡藩士・大島高任が釜石で鉄鉱石を原料にした洋式高炉に始まります。明治13年(1880年)には釜石に初の官営製鉄所が建設されますが2年で挫折。民間に払い下げられた後、技師・野呂景義らがコークスによる銑鉄生産に成功しますが鉄鋼とその製品を造る設備はありませんでした。

ですが殖産興業政策によって鉄鋼の需要は増え続ける一方。このため政府は銑鋼一貫製鉄所の建設に乗り出し、明治30年(1897年)、筑豊炭田に近く洞海湾に面する八幡村に場所を定めました。

技監として欧米に派遣された大島高任の息子・道太郎の提案により、設計から建設までドイツの製鉄会社・グーテホフヌンクスヒュッテ(GHH.)社に依頼。現在、世界遺産登録の候補となっている建造物の多くはこの時期に建設されたものです。

明治34年(1901年)2月、東田第一高炉に火入れが行われ鋼鉄生産が始まりましたが、当初はトラブルが相次ぎ生産量は目標の半分にも満たなかったようです。運転資金も底をつき、製鉄所は明治35年(1902年)に一度休止に追い込まれます。


高炉の再建を託された野呂景義は、現場の職工などからの綿密な聞き取りをもとに高炉を改良し、コッペー式と称する本格的なコークス炉を建設。明治37年に再開された鉄鋼生産は軌道に乗り、日本人による高炉の操業技術が確立します。

近代製鉄所となった八幡製鐵所(※註1)は、地域経済や関連産業の発展にも貢献しました。明治30年(1897年)に約1,700人だった八幡の人口は、20年後には約8万5千人にまで増加。三度にわたる拡張工事で生産を拡大、周辺に多くの産業も立地し、北九州工業地帯の中心工場として日本の近代化を支えました。

写真提供/新日鐵住金㈱八幡製鐵所
※八幡製鐵関連遺産は八幡製鐵所構内にあるため、一般には公開していません。
(※註1)創業当初は八幡(やわた)製鐵所と呼ばれていたため当時の呼び方を採用しています。

  • 官営八幡製鐵所 修繕工場

    官営八幡製鐵所 修繕工場

    明治33年(1900年)、GHH.社によって建設された、現存する日本でもっとも古い鉄骨構造の建物。3度の増築を経て、現在も修繕工場として使用されています。

  • 官営八幡製鐵所 水源地ポンプ室

    官営八幡製鐵所 水源地ポンプ室

    第一期拡張計画に伴う工場用水の水源および送水施設として明治43年、遠賀川東岸に建設。明治期の色彩残る煉瓦建造物で動力を蒸気から電気に変え、現在も稼働しています。

    もっと見る
  • 官営八幡製鐵所 旧鍛冶工場

    官営八幡製鐵所 旧鍛冶工場

    明治33年(1900年)、製鉄所建設に必要な鍛造品の製造を行う目的でGHH.社の設計・鋼材によって建設された鉄骨建築物。屋根はドイツ式の丸屋根形式となっています。現在は史料室として使用されています。

Column

世界遺産ビジターセンター(スペースLABO ANNEX内)-1

世界遺産ビジターセンター(スペースLABO ANNEX内)

全国8か所にある世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」のビジターセンターの1つ。最新システムによる映像コンテンツをはじめ、模型やパネル展示などにより、世界遺産価値をわかりやすく伝えます。

もっと見る

【産業遺産を巡ってみよう!】北九州・筑豊エリアコース

  • 1.旧三井田川鉱業所伊田坑

    1.旧三井田川鉱業所伊田坑

    明治33年(1900年)に発足した三井田川炭礦(後の三井田川鉱業所)の竪坑櫓と第一・第二煙突は、現在も田川市石炭・歴史博物館により保存されており、石炭産業隆盛の時代を物語る遺産として大切にされています。天高くそびえ立つ巨大な煙突は「あんまり煙突が高いので~」と「炭坑節」の歌詞にも歌われるほど人々に驚きを与えました。

    住所:田川市大字伊田2734-1 石炭記念公園内
    電話番号:0947-44-5745(田川市石炭・歴史博物館)

  • 2.田川市石炭・歴史博物館

    2.田川市石炭・歴史博物館

    石炭記念公園に隣接する博物館。石炭の歴史や炭鉱で働く人々の生活の様子などを、パネル展示だけでなく模型やジオラマの展示で分かりやすく伝えてくれます。屋外展示場には石炭輸送に使われたSLや採掘のための大型機械類を数多く展示。また、産業ふれあい館として炭鉱で働く人の住居・炭住が再現されており、人々の暮らしと当時の雰囲気を垣間見ることができます。同館所蔵の2011年5月に日本で初めてユネスコ世界記憶遺産に登録された「山本作兵衛コレクション」は必見!

    もっと見る
  • 3.山本作兵衛コレクション

    3.山本作兵衛コレクション

    平成23年(2011年)にユネスコ世界記憶遺産に登録された、山本作兵衛の炭坑記録画、日記・雑記帳等。自身も炭鉱労働に従事し「ヤマの絵師」と呼ばれた彼の作品は、ヤマと共に生きる人々の暮らしを目で見たままに詳しく描いており、「子どもたちにヤマのある日々を伝えたい」という作者の想いが伝わってきます。

    ※山本作兵衛コレクションは田川市石炭・歴史博物館に展示

    もっと見る
  • 4.三菱飯塚炭鉱巻上機台座

    4.三菱飯塚炭鉱巻上機台座

    遠目で見ると赤煉瓦の塔のようにも見えますが、かつて三菱飯塚炭鉱の坑内に人を送ったり石炭を積んだトロッコを引き上げるなどの際に使われていたと考えられる、巻上機が設置されていた台座です。高さ約12mで、台座としては県内最大級。時の経過を感じさせる色褪せた赤煉瓦と、現代の住宅地のコントラストが不思議な風景を創り出します。

    もっと見る
  • 5.直方市石炭記念館

    5.直方市石炭記念館

    昭和46年(1971年)に開館。筑豊の炭鉱の歴史を資料で展示する本館(旧筑豊石炭鉱業組合の直方会議所を使用)をはじめ、日本一の石炭塊や日本最初の人力車を展示した別館、石炭を原料に鉄鋼や化学薬品などができる様子を解説した石炭化学館、蒸気機関車や電気機関車の屋外展示などがあります。敷地内には石炭の原料となるメタセコイアの木が植栽されており、かつて使われていた救護訓練用の模擬坑道も残っています。

    もっと見る
  • 6.直方歳時館

    6.直方歳時館

    醤油の販売から石炭業に転身し、実業家としても成功を収めた堀三太郎。直方市がその住宅の寄贈を受け、平成11年(1999年)に改築・復元しました。
    現在は純和風建築の生涯学習施設として市民に広く親しまれています。一服300円で抹茶などのサービスあり。一般見学無料。

    もっと見る
  • 7.旧伊藤伝右衛門邸

    7.旧伊藤伝右衛門邸

    炭鉱王・伊藤伝右衛門が柳原白蓮を妻として迎えるため改装した邸宅で、大庭園を含めた総面積は約2,300坪。当時の建築技術の粋を集めた和洋折衷の造りで、アールヌーヴォー調のマントルピース、ステンドグラスをはめ込んだ応接室など、西洋と日本の文化が重なる明治時代独特の美を体現しています。

    もっと見る
  • 8.旧藏内邸

    8.旧藏内邸

    伊藤伝右衛門と共に炭鉱王と呼ばれた藏内次郎作が築上町に建てた邸宅は、18畳間が2間続く大広間や12畳もの大玄関間、茶室などを有する和風建築です。施工の際には住宅だけでなく隣接する貴船神社の参道や石橋も建設し、地域に貢献しています。邸宅には、和風建築でありながら大理石の風呂や金唐革紙という西洋の装飾革工芸を和紙で模した貴重な壁紙(現存するのは日本でも数ヶ所のみ)を一部使用するなど、随所に遊び心も見えます。

    もっと見る
  • 9.東田第一高炉史跡広場

    9.東田第一高炉史跡広場

    官営八幡製鐵所に日本で初めて造られた超高圧高炉。現在は一帯を指定文化財に指定し高炉を保存・公開しています。広場内には高炉の他に、八幡製鐵所・東田第一高炉の歴史を紹介したパネルや、溶かした鉄を運んでいた実物の貨車などを展示。一時は老朽化などの理由から取り壊しの危機に直面するも市民の声で高炉全体が保存された"鉄鋼の町・八幡" のシンボルです。

    もっと見る

  • 10.飯塚市歴史資料館

    10.飯塚市歴史資料館

    約2,000年前の集落跡・墳墓群である立岩遺跡の出土品約100点をはじめ、縄文時代から古墳時代にかけての出土品を展示。さらに、飯塚地方の近世以降の歴史を「農村の暮らし」「長崎街道」「石炭の時代」にわけて展示しています。そして伊藤伝右衛門と柳原白蓮の展示コーナーも設けています。

    もっと見る
  • 11.五平太船

    11.五平太船

    明治24年(1891年)に若松~直方間に鉄道が敷かれるまで、若松港までの石炭の運搬を担っていたのは小さな「川ひらた(五平太船)」であり、多い時でその数88,000 隻に及んだといわれています。浅瀬の多い遠賀川や堀川での運送のため底が平たい形となっており、川幅の広い遠賀川では大型が、堀川では標準型から小型の船が用いられました。石炭を山積みにし若松港へと運んでいく川ひらたで、遠賀川や堀川は賑わいを見せていたといいます。なお、最下流の遠賀郡芦屋町の中央公民館には、当時のままの川ひらたが保存され屋外展示されています。

    住所:遠賀郡芦屋町中ノ浜4-4
    電話番号:093-222-1681 芦屋町中央公民館
    営業時間:8:30~22:00
    休業日:毎週月曜日、12月29日~1月3日

  • 12.若松港

    12.若松港

    筑豊炭田で採掘された石炭は、船や鉄道で若松港へ集められ国内外へと運び出されていきました。筑豊御三家を中心とした鉱業主たちの尽力により護岸工事が行われ、現在の姿に繋がっています。護岸の若松南海岸通には、大正期の姿を残した建物が多く残されており、夜にライトアップされると映画のワンシーンのような雰囲気となります。

    住所:北九州市若松本町1


【産業遺産を巡ってみよう!】大牟田エリアコース

  • 1.旧三池集治監外塀および石垣(現・県立三池工業高校)

    1.旧三池集治監外塀および石垣(現・県立三池工業高校)

    明治16年(1883年)に設置された三池集治監(現代の刑務所)の壁が今も残っています。約2,000人が収容され、受刑者たちは三池炭鉱での採炭作業に従事していました。現在この場所には三池工業高校が建っています。

    住所:大牟田市上官町4-77

  • 2.旧三井港倶楽部

    2.旧三井港倶楽部

    三池港整備により石炭産出量が増大した三池炭鉱は、日本経済の一翼を担う存在となっていきました。「三井港倶楽部」は政財界人、海外船の船員をもてなすサロンや宿泊場所として、三池港と同時期に造られました。現在は館内のレストランで食事を楽しむことができます。

    もっと見る
  • 3.旧長崎税関三池税関支署

    3.旧長崎税関三池税関支署

    建物は木造平屋建、入母屋造に切妻造附き、桟瓦葺一部銅板葺で、三方の出入り口をもつ土間で関税の手続きが行われていました。当時は本館および附属建物から成っていました。

    住所:大牟田市新港町1-25
    営業時間:※公開は土・日・祝、10:00~17:00

  • 4.大牟田市石炭産業科学館

    4.大牟田市石炭産業科学館

    石炭の歴史から炭鉱技術の歩み、三池炭鉱と大牟田市の歴史を詳しく知ることができる資料館。石炭に関する常設展示のほか、炭鉱の様子を紹介する模擬坑道、エネルギーや環境問題の企画展など、楽しみながら学べる仕組みが盛りだくさんです。

    もっと見る
  • 5.宮浦石炭記念公園

    5.宮浦石炭記念公園

    三池炭鉱の主力坑口のひとつ、宮浦坑。その跡地に作られた宮浦石炭記念公園は、ボイラー排煙のための巨大煙突や、当時掘られていたトンネル(大斜坑)の坑口、作業員を運ぶ人車などが展示されています。なお、大牟田市内には石炭の原料となるメタセコイアの木が各地に生えています。

    もっと見る
  • 6.大牟田市役所本庁舎旧館

    6.大牟田市役所本庁舎旧館

    石炭産業が隆盛を極めた昭和11年(1936年)に完成した市庁舎。中央に塔屋4階を中心にシンメトリーを成しており、昭和初期の官庁建築の特徴が随所に見られます。市街地が第二次世界大戦の戦火で焦土化するなか戦火を耐え抜き、現在もその役割を果たし続けています。

    住所:大牟田市有明町2-3
    電話番号:0944-41-2222


  • 7.三川坑跡

    7.三川坑跡

    昭和期の三池炭鉱の主力坑となった三川坑。第一斜坑、第二斜坑の2つの坑口があり、長さ2km以上、最深部の坑道は海面下520mにあり「大斜坑」と呼ばれました。三池争議や、死者約460名の三川坑炭じん爆発事故の現場でもあります。平成9年(1997年)の閉坑以降閉鎖されていましたが現在週末限定で一般公開しています。

    もっと見る
  • 8.旧三川電鉄変電所 (現・(株)サンデン本社屋)

    8.旧三川電鉄変電所 (現・(株)サンデン本社屋)

    三池炭鉱専用鉄道の変電所として使用されていた煉瓦造りの建物。炭鉱閉山後、気概ある地元企業が三井鉱山に申し入れ購入。補修工事を行い、現在も社屋として活躍し続けています。見学は外観のみ可能。

    住所:大牟田市新港町1-30

  • 9.クレーン船「大金剛丸」

    9.クレーン船「大金剛丸」

    明治38年(1905年)に大阪築港会社より中古として購入された英国製のクレーン船。現在もなお活躍し続けている100年選手です。黄色いボディはもとは木製でしたが昭和に入り鋼鉄製に変更し、クレーン部分は明治期のままです。原動機はいまも蒸気、燃料は石炭です。クレーン最大吊上げ能力15t。

    住所:大牟田市新港町1(三池港内、埠頭から見学可能)

  • 10.三池炭山創業碑

    10.三池炭山創業碑

    笹林公園の敷地内に設置された三池炭鉱創業を記念する石碑。三池炭鉱が旧三井物産に買い取られる以前、文明元年(1469年)の炭坑発見から始まる藩営・官営時代を中心とした三池炭鉱の歴史が石碑の裏に刻まれています。

    住所:大牟田市笹林町1丁目(笹林公園内)

  • 11.化学コンビナートの夜景

    11.化学コンビナートの夜景

    石炭から出るコールタールやガスを使った染料や医薬品などの精製する化学工場が増加し、化学コンビナートが形成されていきました。現在も工場は現役で活躍しており、夜間まで照明が灯される姿は、夜景スポットとして新たな大牟田名物となっています。

    住所:大牟田市新港町1(三池港内、埠頭から見学可能)


SHARE

次に読みたい特集記事

当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。詳細はクッキーポリシーをご確認ください。
ページトップへ