【神の山】英彦山で辿る、修験道の歴史と山岳信仰が息づく絶景のパワースポット
福岡県添田町と大分県中津市との県境にある標高1,199mの英彦山(ひこさん)は、山形県の出羽三山、奈良県の大峰山と並ぶ日本三大修験道場の一つとして知られています。
古来、修験道の行者(=修験者、通称・山伏)たちは英彦山にこもって修行を積むことで、神仏の超自然的な力を得て、その力をもって人々の幸福や現世利益を目指しました。英彦山には英彦山山伏の厳しい修行の跡や、修験道にまつわる史跡が今も数多く残っていて、自然と向き合いながら学ぶことの大切さを、現代を生きる私たちに教えてくれます。
悠久の歴史のなかに山岳信仰が息づく、自然豊かな絶景パワースポットへ、あなたも出かけてみませんか?
神秘性あふれる豊かな自然に育まれた「英彦山信仰」
英彦山は大分県との県境にあり、標高1,188.2mの中岳、1,192mの北岳、1,199.5mの南岳の三峰で構成される、福岡県で3番目に高い山です。日田・耶馬・英彦山国定公園として、樹齢1200年ともいわれる鬼杉や火山性柱状台地(ビュート)鷹巣山など不思議な形の岩峰の天然記念物が織りなす神秘的で美しい景観を楽しむことができます。特に秋は、福岡県でも有数の紅葉の名所として知られ、毎年多くの登山などの観光客が訪れます。
また、修験道の歴史を今に伝える国指定重要文化財の英彦山神宮奉幣殿(ひこさんじんぐうほうへいでん)をはじめ、山岳信仰にまつわる史跡が多く点在。英彦山神宮の御神体(神体山)として山全体が国の史跡に指定されています。登山道を歩きながら、豊かな自然の中にたたずむかつての修験者たちの修行の場を見れば、彼らが何を求めてこの山に入り、修行を重ねていたのかをうかがい知ることができるでしょう。
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英彦山の名前の由来
「英彦山」と書いて、読みは「ひこさん」。この名の由来は、古くから英彦山が神の山=霊山として信仰されてきた歴史と関係しています。初めは英彦山の御祭神である太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)にちなんで「日の子の山」、すなわち「日子山(ひこさん)」と呼ばれていました。平安時代前期には嵯峨天皇によって「日子」の文字が「彦」に改められ、江戸時代中期に霊元法皇から「英」の字を賜って、現在の「英彦山」になりました。名前の変遷から天皇家との深い関わりがあったことがわかりますね。
修験道の聖地としての英彦山
修験道とは、日本古来の山岳信仰に、神道や仏教、道教、五行思想、天文学、薬学などが習合された我が国独自の信仰体系です。修験道では、自然そのものが信仰の対象であるという考え方に基づき、修験者は自然と一体になることで験力(げんりき)をいただきました。そして、その験力を民に知恵として授け、救済し、人と自然が互いに調和し、共存することの大切さを教えました。
鎌倉時代になると修験道を行う修験者が英彦山に集い、集落を形成。江戸時代の最盛期には英彦山山伏は3,000人に達し、彼らが暮らした坊舎の数は800戸にも及んだそうです。修験道霊場「英彦山」は、西国一の霊験所として信仰者も多く集い、その数は九州一円に42万軒にも達しました。彼らは「講」と呼ばれる組織を形成し、毎年または数年に一度、代表者が英彦山を参拝していました。明治時代には神仏分離令によって、英彦山修験道は終焉し、拠点であった霊仙寺(りょうぜんじ)は英彦山神社になりました。昭和50年(1975年)6月24日、昭和天皇のお許しを得て、戦後では全国第3番目の「神宮」に改称され、現在の英彦山神宮になっています。
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英彦山の四土結界
英彦山には「四土結界(しどけっかい)」という考えがあり、三つの鳥居を境にして四つの世界に分けられ、かつては結界ごとに祭祀や居住できる人、作れる作物などに決まりがありました。一つ目の「銅鳥居(かねのとりい)」より麓は、凡人と聖者が同居する「凡聖同居土(ぼんせいどうきょど)」。そこから二つ目の「石の鳥居」までは、行者が住む「方便浄土(ほうべんじょうど)」と呼ばれる仮の浄土。石の鳥居から先は、修験者が厳しい修行を積むための聖域「実報荘厳土(じっぽうしょうごんど)」。三つ目の「木の鳥居」から先は英彦山神宮の上宮社殿が鎮座する神と仏の世界で、これを「常寂光土(じょうじゃくこうど)」と呼んでいます。
150年ぶりに復活した英彦山峰入り
福岡県の宝満山から英彦山までの修行の道のりは、英彦山修験では「春峰」の峰入り道とされており、かつて英彦山山伏が行場を巡り、断崖絶壁でのぞき行や断食等の荒行が行われていました。明治時代の神仏分離令や修験道廃止令によって長らく途絶えていましたが、2013年におよそ150年ぶりに復活しました。この復活行には、英彦山神宮の神職・高千穂有昭さんを含む13人の山伏が参加し、片道約60kmの道のりを踏破。修験道の歴史と精神を現代に甦らせる重要な行事となりました。高千穂さんは英彦山神宮での護摩焚き行や伝統行事の復活にも積極的に取り組み、修験道の伝統や、地域の歴史文化の継承に大きな役割を果たしています。
2021年からは、福岡県観光連盟とYAMAPが英彦山神宮の取組と歩調を合わせ、かつての峰入り道を歩き、修験道の歴史・文化に思いを馳せるロングトレイルのツアーやオリジナル商品の開発に取り組んでいます。
- 【福岡県×YAMAP】英彦山巡礼路特設サイト(サイト内にコンセプトムービーがあります)
- 【YAMAP MAGAZINE】英彦山再興プロジェクト|峰入り道をゆく巡礼ツアー
- 【YAMAP MAGAZINE】古くて新しい九州のロングトレイル「英彦山巡礼路」
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峰入りとは
峰入りとは、修験道における重要な行事の一つで、断崖絶壁での荒業や断食等を行う山中修行のことです。険しい山道を歩くことで精神修養を深め、悟りに至ることを目的としています。仏教における精神世界と現実世界を合体しようとする修行で、峰入り修行をすることは「擬死再生」、すなわち生まれ変わることを意味するといわれています。
2025年から、実際に修験者と共に修行を体験する「英彦山回峰巡拝行(ひこさんかいほうじゅんぱいぎょう)」が行われています。YAMAPサイト内「英彦山巡礼路公式アカウント」に募集情報が随時掲載されます。参加者の声も掲載されているので、是非ご覧ください。
英彦山神宮参道を歩こう
英彦山の雄大な自然と、奥深い歴史を体感したいなら、まずは英彦山神宮参道を散策するのがおすすめです。銅鳥居から英彦山神宮奉幣殿の境内にある石の鳥居までは、「方便浄土」と呼ばれる英彦山山伏が修行のために住まう仮の浄土で、坊舎が多く立ち並んでいます。参道は石畳と階段の坂道が続くので、歩きやすい靴で出かけましょう。
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銅鳥居
英彦山を崇敬していた佐賀藩主の鍋島勝茂によって寄進された青銅製の大鳥居。江戸時代の肥前国(現在の佐賀県、長崎県)では農村部を中心として英彦山信仰が盛んで、毎年3月〜4月頃の農閑期には集落ごとに英彦山詣りが行われていました。「英彦山」と書かれた額は、享保19年(1734年)に霊元法皇から下賜されたものです。
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財蔵坊(ざいぞうぼう)
もっと見る江戸時代の最盛期には800舎あったと伝えられる英彦山の坊舎の一つ。坊舎は檀家の宿坊としても使われていたため、祭壇や炊事場などがあり、「鍵屋造り」といわれる独特な建築様式になっています。現在は添田町歴史民俗資料館として活用され、山伏の暮らしぶりがわかる資料が展示されています。
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旧亀石坊庭園(雪舟庭園)
もっと見る「四季山水図巻」など国宝に指定される水墨画を残した室町時代の画僧・雪舟が、1475年頃に築いたとされる池泉鑑賞式庭園です。47歳の時に中国へ渡り水墨画を学んだ雪舟は、帰国後、亀石坊に滞在し、この庭を築いたといわれています。雪舟四大庭園の一つに数えられ、国の名勝にも指定されています。
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山伏文化財室
英彦山スロープカー公式サイト英彦山スロープカーの花駅本館2階にある山伏文化財室では、英彦山修験道にまつわる貴重な資料を多数展示。山伏が実際に使っていたほら貝や、豊臣秀吉からの書状、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって破壊された仁王像などを見ることができます。
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英彦山スロープカー/英彦山花園
もっと見るバリアフリーで英彦山神宮奉幣殿への参拝ができるようにと開通された英彦山スロープカー。旧英彦山小学校を利用した花駅と英彦山神宮最寄りの神駅を約7分で結んでいます。眼下にはシャクナゲを中心にアジサイやラベンダーのほか、70種以上の高山植物が植樹された美しい英彦山花園を望むことができます。
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英彦山神宮奉幣殿
もっと見る朱色の社殿と大鈴がシンボリックで、英彦山観光の中心的存在として親しまれている英彦山神宮奉幣殿。江戸時代以前には英彦山霊仙寺の大講堂として利用されていました。現在の建物は江戸時代初期に小倉藩主だった細川忠興によって再建されたものです。その後も小倉藩歴代藩主によって営繕が行われ、現在は国の重要文化財に指定されています。
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英彦山神宮奉幣殿で正式参拝をするには?
英彦山神宮奉幣殿の内部は通常非公開ですが、正式参拝を申し込まれる方は、社務所にて随時受付を行い、中で祈願を受けられます。祭壇には英彦山三所権現、不動明王、役行者(えんのぎょうじゃ:修験道の開祖)が並んで祀られており、神仏習合の文化が現代まで色濃く息づいているのが特徴です。神職の方との対話から、廃仏毀釈の際に霊仙寺の大講堂が破壊されずに残された経緯など、歴史の学びを深めることもできます。奉幣殿の中に身を置いて、厳かな雰囲気の中で参拝するひとときは、忘れられない特別な体験になるでしょう。
健脚自慢の方は、上宮を目指そう!
英彦山神宮奉幣殿そばにある石の鳥居から先は、修験者たちが厳しい修行を積んだ「実報荘厳土」と呼ばれる菩薩の世界です。ここには人が住む家を建ててはならず、英彦山山伏によって千本杉が植樹されています。また、産霊(むすび)神社そばにある木の鳥居から上宮が鎮座する山頂までは「常寂光土」と呼ばれる仏の世界で、かつては「峰入り」と呼ばれた修行を15回修めた山伏しか立ち入りを許されない神聖な世界でした。汗や涙を流すなど、聖域を汚す行為も厳重に禁じられていました。石の鳥居から先は険しい山道が続きますが、しゃくなげなどの花々を愛で、野鳥のさえずりに耳を傾けながらの登山道は楽しく、脚力に自信のある方はぜひ訪れてみてください。
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英彦山神宮下津宮
英彦山神宮 朝のおつとめ体験英彦山神宮の摂社にあたる下津宮では、毎日、朝のおつとめが行われています。朝の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、英彦山権現さまや不動明王さまなどの神仏の前に正座をして祝詞やお経を読み、神聖な雰囲気を感じてください。毎月第1日曜日に護摩焚き、第4日曜日に読経会も行われています。
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英彦山神宮中津宮
幕末期の安政4年(1857年)に佐賀藩主の鍋島斉正によって寄進された中津宮。2021年の台風によって倒壊しましたが、石祠社が再建されています。英彦山を守る12の神様「英彦山十二所権現」のうち市杵島姫命(いちきしまひめみこと)をお祀りする、重要な社殿の一つです。
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英彦山神宮上宮
英彦山は北岳、中岳、南岳を神格化し、各峰に一祭神をあてて古代から神体山として信仰されてきました。英彦山中岳の頂上には、伊弉諾(いざなみ)神が祀られ、伝えによると崇神天皇乙酉年の神託により庚寅7年に祠を作り、以来乙酉年の60年ごとに造営したという上宮(御本社)があります。
信仰に培われた歴史や自然の美と出会う、英彦山観光の魅力
2017年、英彦山は我が国の修験道、仏教、神道のあり方を考えるうえで重要な山岳信仰の遺跡であるとして、国の指定史跡になりました。日本三大修験道場の一つとして栄えた歴史や文化、そして豊かな自然が融合し、訪れる人々を出迎えてくれる英彦山は、参拝だけでなく、登山やハイキング、紅葉狩り、パワースポット巡りなど、多彩な魅力に溢れています。英彦山を歩きながら自然と対峙し、修験者たちがかつて追い求めた生命の営みの尊さを感じる時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。霊験あらたかな空気が、きっと心身を癒やしてくれるでしょう。
英彦山神宮のお祭り・行事
英彦山で栄えた修験道は、明治期の修験道禁止令と廃仏毀釈によって多くの文化財が破壊され、山伏たちも山を降りるなど壊滅的な打撃を受けました。しかし、神事祭礼については、英彦山神宮が中心となって現在まで継承、復活しています。
敷居が高いと感じられるかもしれませんが、ここで紹介する行事は見学、参加自由です。"神の山"英彦山を体感できる機会ですので、日程をチェックして、足を運んでみましょう!
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護摩焚き(毎月第1日曜11:00~)
英彦山神宮下津宮では、毎月第1日曜に護摩焚きが行われています。護摩焚きは、護摩木などの供物を炎に投じて神仏を供養し、厄除け、災難除け、願いごとの成就を祈る伝統的な修法です。明治維新の神仏分離令などで約150年間途絶えていましたが、英彦山神宮の神職を務める高千穂有昭さんが復活させました。見学は自由で、参列者は願いを書いた護摩木を奉納して祈願することができます。
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経読み(毎月第4日曜11:00~)
英彦山神宮奉幣殿では、毎月第4日曜の11:00から「読経会(経読みの会)」が行われています。これは参加者が集って経文を読み上げ、心身を清める行事です。見学参加は自由で、毎月多くの参詣者が集まり、穏やかな雰囲気の中で日々の無事や心の安寧を祈っています。
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柱松神事(毎年1月1日)
英彦山神宮の新年を迎えるための祭事が柱松神事(はしらまつしんじ)です。梵鐘の除夜鐘の音から始まり、奉幣殿の斎庭に用意された柱松に火が灯されると、元日午前零時の合図とともに集まった参詣者が柱松を一気に引き起こし、一年の豊作と泰平を祈念します。柱松は1月3日まで境内に建てられ、正月詣での参拝者がお参りをします。
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御田祭(毎年3月15日)
田植えの前の3月15日に英彦山権現へ豊作を祈願する行事が御田祭(おんたさい)です。英彦山神宮奉幣殿の境内に田に見立てられた斎庭が設けられ、狩衣、烏帽子姿の神職たちが、鍬入れ、畔きり、田耕し、種まき、田植えなどの一連の所作を演じます。現在でも福岡、佐賀、大分の農村部などから多くの参詣者が訪れてお札などを授かり、自家の神前に供えて豊作を願います。
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神幸祭(毎年4月第2土・日曜)
英彦山神宮神幸祭神幸祭とは、神社に祀られている神が人々の住む里をまわり、願いごとを聞いてお帰りになる神事です。英彦山神幸祭では、英彦山権現を移した3基の神輿が、英彦山神宮奉幣殿から銅鳥居横にある御旅所までの参道を2日間に渡って勇壮に往来します。途中の神輿休めでは参詣者が神輿を参拝するほか、稚児舞、獅子舞、鉞舞(まさかりまい)、流鏑馬(やぶさめ)などが奉納されます。
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英彦山山開き(毎年5月下旬の日曜)
標高が高い英彦山に新緑が輝き始める頃になると、夏山シーズンの到来。山開きの神事が英彦山神宮奉幣殿で行われ、登山の安全を祈願します。奉幣殿から登る「英彦山中岳正面登山コース」は登山道が整備されているので、初心者の方でも安全に登山を楽しむことができます。
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英彦山は水の恩恵を与える水分神
“水分(みくまり)”とは「水配り」の意味で、山から流れ出る水が分かれるところです。標高が高い英彦山に降った雨は、四方へ広く流れ下り、農耕や日々の生活など麓の村々に豊かな恵みをもたらします。そのため流域では、英彦山は「水分神(みくまりのかみ)」として古くから信仰を集めてきました。これらの地域では、毎年4月に行われる英彦山神宮神幸祭を皮切りに、各村々で神幸祭が行われ、五穀豊穣を祈願しています。
天狗の霊力でご利益アップ!
英彦山信仰の東の玄関口として古来多くの参詣者を集めた高住神社は、旧称を「豊前坊(ぶぜんぼう)」といい、人々の病苦を救い、農業や牛馬、家内安全の神として農村の人々から崇められてきました。また、九州の天狗の頭領で、日本八大天狗の一角「豊前坊天狗」の宮として修験者たちの信仰も集めました。英彦山北岳の登山口に位置することから、現在では多くの登山客が訪れています。
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鷹巣原高原のススキ
もっと見る英彦山の中腹、標高約800mにある英彦山青年の家から、九州自然歩道を約7分歩いたところに広がっている鷹巣原(たかすばる)高原。かつてはスキー場として賑わっていました。別名「ススキヶ原」と呼ばれ、約6万平方mの広大な斜面にはススキが群生し、秋には日差しを浴びてススキの穂が銀色の絨毯のように輝きます。
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望雲台
垂直に切り立った高さ約150mの断崖で、山伏の修行場の一つとして知られています。高住神社からは九州自然歩道の登山道を通って約400m。途中、鎖場などもあり険しい山道となっていますが、望雲台からの眺望はまさに絶景なので、健脚自慢の方は挑戦してみては。
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数々の物語にも登場する英彦山天狗
天狗の山としても知られた英彦山では、厳しい修行の末に徳を積んだ山伏が天狗の強力な験力を得ると信じられていました。英彦山天狗が住むとされるのは、英彦山神宮境内地北東側の鷹巣原(高天原)に位置する、約300mの岩山にある岩窟です。この場所は「望雲台」と呼ばれる約130mの断崖絶壁をはじめ、屏風岩や逆鉾岩などの奇岩に富み、天狗が住むのにふさわしい景勝地として知られています。
そこに「豊前坊」という九州天狗の頭領である大天狗が住んでいて、数々の霊力を持っていると伝えられていました。豊前坊は日本八天狗にもあげられ「筑紫の豊前坊」としてさまざまな物語や説話にも登場。牛若丸に剣術の手ほどきをしたのも豊前坊だといわれています。
山伏が修行した窟を巡る!
英彦山における山伏の修行は、窟(いわや)にこもる「籠山(ろうざん)修行」が中心だったと考えられています。窟とは巨石下にある洞窟状の窪みのことで、そこには神霊が宿り霊力が集まるとされていました。英彦山には、弥勒菩薩が修行をした四十九院にならって49の修行窟があったといわれ、そのうち12ほどの窟の位置が確認されています。
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玉屋神社(般若窟)
奈良時代の高僧・法蓮上人がこの窟にこもって修行をしたところ、龍神が現れて宝珠(ほうじゅ)を吐き出したと伝えられる英彦山信仰はじまりの地です。宝珠が出てきた神池は、水が濁ると天変地異が起こるという言い伝えが残り、旧暦の6月3日には「御池さらい神事」が行われているほか、湧水は霊水として知られています。
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鬼杉
もっと見る樹齢推定1200年以上。高さは約38m、幹周りは約12.4mもあり、福岡県下最大の杉の巨木で、林野庁の「森の巨人たち百選」にも選定されています。英彦山周辺では、古来山伏たちが峰入り修行の重要な行場に杉を植栽していました。杉は神の宿り木として、また神を祀る社殿を作る材料として大切に扱われてきた歴史があります。
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大南(おおみなみ)神社(大南窟)
江戸時代までは神仏習合(しんぶつしゅうごう)の影響で、英彦山十二所権現の一社として不動明王を祀っていました。現在は英彦山神宮の末社で、御祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)を祀っています。断崖にある窟に建てられた懸崖造り(けんがいづくり)の社殿が神秘性を際立たせています。
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磨崖仏
磨崖仏(まがいぶつ)とは、岩肌に彫られた仏像のことです。今熊野窟と呼ばれる高さ約30mの巨岩の壁面には、高さ約130cmの菩薩像が残されています。銘文によると、密教の修行僧によって刻まれた阿弥陀三尊の左脇侍像で、鎌倉時代の作であることがわかっています。
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材木石
火山の噴火で噴出したマグマが冷え固まってできた安山岩の柱状節理で、材木を積み重ねたように見えることから材木石といわれています。英彦山に伝わる鬼伝説によると、鬼が英彦山権現様との知恵比べに負けて残していった材木がこの岩になったといわれています。
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「鬼滅の刃」ならぬ、英彦山権現様の鬼退治伝説
英彦山の南西に位置する岳滅鬼山(がくめきさん)は、大ヒットアニメ「鬼滅の刃」によって注目を集めている鬼滅の山で、山裾にある岳滅鬼峠はかつて英彦山への参詣道でした。その昔、英彦山にも多くの鬼が住んでいて、困った英彦山権現様が鬼たちに「一晩でお前たちが住む家を作ることができたら、ここに住まわせてやろう」と言いました。鬼たちは喜び勇んでせっせと家を作りはじめますが、その様子を見た英彦山権現様が鬼たちを諦めさせようと、一番鶏の鳴き真似をしたところ、鬼たちは朝が来たと勘違いをして逃げていったそうです。鬼の残した材木は材木石となり、鬼の頭領が持っていた杖が鬼杉に、鬼が逃げて行った見えなくなった山を岳滅鬼山と呼ぶようになったと伝えられています。
深山幽谷のパワースポットを訪ねる
英彦山へ向かうルートの一つで、英彦山の隠れ座敷ともいわれる障子ヶ岳の南麓にある深倉峡。奥深い自然の中に巨大な奇石が突如現れる、深山幽谷ならではの特別な空間に身を置くことができます。
姥ヶ懐
深倉園地内の大きな岩にある窟は「姥ヶ懐(うばがふところ)」と呼ばれていて、慈母観音が祀られています。岩肌から滴る水を飲むと母乳の出が良くなるとの言い伝えがあるパワースポットです。
県内屈指の美しさを見せる彦山川の紅葉
彦山川流域の「龍門峡」は、福岡県内でも屈指の紅葉の名所として知られています。上流には、大場聖氏と息子の大場豊氏が、作庭家・北山安夫氏の力を借りて完成させた広大な庭園があります。ここでは、四季折々の庭園美を愛でることができます。
英彦山のお土産
英彦山周辺には修験道の伝統や、山の自然、豊かな水の恵みを受けて作られた特産品がたくさんあります。地域の歴史が息づくお土産物をぜひ手にとってみてください。
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英彦山がらがら
日本最古の土鈴といわれる「英彦山がらがら」は、干ばつが続いた際に恵みの雨をもたらしてくれた英彦山に、文武天皇がお礼の鈴を奉納したことに由来。地元では玄関や勝手口に飾るのが一般的で、魔除けの意味があるとされています。可愛らしいフォルムと、素朴な音色が特徴で、英彦山神宮や道の駅などで購入できます。
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柚子こしょう
もっと見る英彦山は柚子こしょう発祥の地の一つとされ、古来、山伏がくすりとして調合していた柚子や唐辛子を保存食や薬味として作ったのが始まりと伝えられています。英彦山産の柚子と唐辛子を使用し、柚子の爽やかな香りとピリッとした辛味が、鍋物や刺身、焼き鳥などの風味を引き立てます。
タロとジロで有名な第3次南極観測隊の要請により提供されたのも英彦山産の柚子こしょうでした。 -
こんにゃく
英彦山周辺では昔から自家用にこんにゃく芋を育てて、こんにゃくを作る文化がありました。伝統の製法で丹精込めて作られた英彦山のこんにゃくは、歯ざわりもよく観光客にも好評です。刺身こんにゃくや、柚子入り、金時にんじん入りなど、地元の食材とともに練り上げた味わい豊かなこんにゃくをお楽しみください。
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立寄りスポット
英彦山スロープカーの花駅本館1階には、スロープカーと併せて2023年3月にリニューアルされた「添田英彦商店」があります。英彦山がらがらやバナナようかんなど添田町の定番商品から、英彦山スロープカーオリジナル商品や英彦山花園の植物を使ったドライフラワーなど、ここでしか買えない限定品まで、英彦山みやげを多数取り揃えています。
もっと見る<参考文献>
・「添田町 歴史的風致維持向上計画 第2期」 福岡県添田町
第1章 添田町の歴史的風致形成の背景
第2章 添田町の維持向上すべき歴史的風致
・甘木歴史資料館だより「温故(第66号)」
・「新・田川紀行」田川観光歴史文化読本