太閤潮井の石

たいこうしおいのいし

豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、諸国の軍勢が海路名護屋城に向かう途中、相島に立ち寄り海岸の石を1個ずつ持って千手観音像に航海安全ち戦勝の祈願のため、積み上げられた石の山です。

豊臣秀吉は、文禄元年(1592年)・慶長2年(1597年)の二回にわたり朝鮮へ攻め入りました。この戦いは、日本では「文禄の役」「慶長の役」といわれ、「唐入り」「高麗の陣」などとも呼ばれました。明では「壬申・丁酉の倭乱」といわれています。

島に伝わる「阿部窟観音濫觴(あべのしまあなかんのんらんしょう)」に「嘗て慶長の頃、秀吉公の高麗陣おり、諸国の軍船は此の嶋に寄りて千手観音の利生を祈らんと他所より大石を運び、道場に参詣の度(つど)かぞえ一度に一石ずつ重さを厭わず運び来りし、今尚残りて石山を成す・・・」とあり、戦勝祈願のために積み上げられた石山を、太閤秀吉にちなんで「太閤潮井の石」と呼んでいます。
(新宮町教育委員会 説明文より)

基本情報

住所 〒811-0118 福岡県糟屋郡新宮町大字相島
電話番号 092-962-0238(新宮町 産業振興課)
FAX番号 092-962-2078
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※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。

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エリア
福岡エリア
カテゴリー
史跡・古墳・遺跡

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